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Yuppon日本脱出大計画
  Yuppon日本脱出大計画その2   Yuppon日本脱出大計画その3
 
◆YUPPONと母親です

母親は2008年で85歳です。まだ体は元気なのですが、少し認知症があります。
近い将来、そのような施設に入る必要が出てくると思います。

それで、日本の施設で悲しい思いをさせるよりも、フィリピンの大家族の中で、特にばあちゃんの大好きな、赤ちゃんや、小さい子供たちに囲まれて生活するほうが、施設より、よっぽど幸せだと思います。
2009年1月に母親はフィリピンに移住します。
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もし、あなたも、このような計画をお持ちでしたら、一緒にチャレンジしてみませんか。
すでに、実践されている先輩もおられるようです。

◆脱出計画の進行状況です

2008年12月、母親用の携帯トイレを買いました。プラスチック製なので、こわさずに持っていくための木製のケースを作る必要があります。
母親にとっての一番の厄介ごとが、手洗いに行くことです。
この携帯トイレは、部屋の片隅に置いて目隠しでし切って、母親がいつでも用が足せるようにします。

衣類は、フィリピンですべて調達できるので、それほど持つ必要は無いようです。
ただ、ベッドで失禁しても大丈夫な、プロテクトカバーと、茶碗と味噌汁碗を忘れずに持って行きます。それと、玉子焼きを作るための長方形パン。

じいちゃんが入った小さい仏壇も、もって行く予定です。これも、木製ケースを作る必要がありそうです。
◆2009年1月ばあちゃんはフィリピンに移住しました

アテ(お姉さん)・ビッキーが24時間側にいて、母親の面倒を見てくれています。
ウンチの面倒が一番大変なようです。

母親の楽しそうな表情を見ると、ひとまず移住は成功です。

日本では、夕食のときに1時間30分、Yupponと一緒に食堂でお話するだけでした。
が、フィリピンでは、いつもアテ・ビッキーに楽しそうに話かけています。

アテ・ビッキーは日本語はわかりませんが、「あ、そう」「ふうーん」と答えるだけで、母親はたくさん話をするそうです。
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◆大勢の家族にいつも囲まれています

食事も思ったよりも柔軟に、食べてくれていますが、フィリピンの固いご飯だけは食べれません。

日本では、お弁当をテーブルに用意しても一人ではほとんど食べることがありませんでしたので、少しやせてしまいました。
アテ・ビッキーいわく、半年後には、おばあちゃんは私のように太くなるよ!

今では、Yupponのことを忘れてしまって、アテ・ビッキーの1歳半になる男の子、ブリッグを楽しそうに抱っこしているそうです。

ばあちゃんは、赤ちゃんが大好きです。
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